社会人になって初めての休日、愛犬の伊助を連れて散歩に出た。公園に向かう歩道橋の中程で雪がちらつく寒い日なのに素足でサンダル履き、裾の短いクロップドパンツに薄手のセーターという軽装のおばさんに出会った。大丈夫かな? 寒くないのかな? チラ見しながら通り過ぎたが一時間後に戻ってみるとまだ同じ場所にいたので「マジか」と驚いてしまった。ボーッとした感じで車の流れを見ている。
まさか飛び降りるつもりじゃないだろうな。一旦は通り過ぎたが、降り口付近で伊助と遊ぶ振りをして様子を見ていると、暫くしておばさんが向こうの方に歩き出した。端まで行って方向転換すると再び中間地点で止まり、今度は腰をねじりながら奇妙な体操を始めたので、伊助がおばさんに向かってわんわん吠え出した。気付いたおばさんが動きを止めて吠える伊助を見ていたが「ふふん」と顎を上げると今度はこっちに向かって歩いて来た。怒られると思ったのか伊助は吠えるのを止め、後ずさりして僕の後ろに隠れた。ところが、すぐ傍まで来たおばさんは、
「あなた、お名前は?」
意外にもやさしい声で伊助の顔を覗き込んだ。
「伊助っていいます」
伊助は喋ることが出来ないので僕が代わりに答えた。
「伊助ちゃんか、いい名前ね、いくつ?」
「6歳です」
また僕が答えた。
「6歳か、元気盛りだね。うちにも「ゆずこ」っていう猫がいたんだけど、2年前に死んじゃったのよ。赤ちゃんの時から18年もいたから寂しくてさ、いまだに思い出しては泣いてばっかり。でも、あなたはまだまだ大丈夫ね、ハンサムだし毛色もいいし第一鳴き声に張りがあるわ」
おばさんは伊助の頭を愛おしそうに撫でた。おばさんに褒められて嬉しかったのか、伊助は尻尾を振っておばさんの手や顔を舐め始めた。
「あららら、ダメダメ、顔がベタベタになっちゃう」
おばさんは声を上げたが、顔をそむけることはしなかった。僕はおばさんに聞いてみた。
「あの、さっきからずっとここにおられましたよね。誰かと待ち合わせですか?」
別におかしい質問ではないと思ったが、おばさんは「ん?」という表情で首を斜めに倒した。
「実は僕、1時間ほど前にここを通ったんですよ。今もまだここにおられるんでどうしたのかなと思って、寒いですよねここ」
下から5mの高さの歩道橋は冷たい風が吹き抜けていて、ダウンジャケットを着ている僕でも震えるくらいだった。しかしおばさんは又も首をかしげた。
「あのうですね、何かの弾みで手すりから落ちたら危ないな、と思ったので」
リードを持っていない方の手で手すりを指差すと、
「えっ、何の話? 私、手すりなんか覗き込んでないわよ。普通にここに居ただけなのに何言ってるの?」
おばさんは不満そうに眉を寄せた。
「あ、そうでしたか、それはどうも僕の思い違いのようでした。ちょっと心配になったもので」
笑いながら頭を下げると、
「えっ何? 心配ってあなた、何を変な勘違いしてるの。 こんなところで飛び降り自殺をするとでも思った? この高さじゃ落ちても死に切れないわよ。全身打撲で寝たきりになるのがオチだって。それにそんなことをしたら下を走っている車が大迷惑だし、やれ警察だの、やれ救急車だの、とんでもない騒ぎになっちゃうわよ。あ、あ、それとも何? 自殺しかかっているおばさんを助けて感謝状でも貰いたかった? な~んかね、最近いるのよね、そういう世話焼きの優等生馬鹿が」
びっくりするような言葉が返ってきた。口が開いたままになってしまった。
何だ、このおばさんは。そりゃぁあんたにしてみれば小さな親切大きなお世話だったのかも知れない。でも、何もなければ「ああそうですか」で済む話じゃないか。現に世間を騒がせている振り込め詐欺だってちょっとした声掛けで被害を防げているんだし、協力した人たちだって感謝状が欲しくてやっている訳ではないんだ。人の気遣いを嫌味たらたらで返してくるあんたの神経が信じられないよ。
「伊助、帰るぞ」
無性に腹が立って、足元でウロチョロしている伊助のリードを引っ張った。

すると、
「あのさ、わたし今、お腹が大きくてね」
おばさんが意味不明の言葉をぶつけてきた。
「はあ?」
たった今、僕に対して暴言を吐いたにも関わらず、何もなかったかのように喋りかけてくる、このおばさんの神経はどうなっているんだ。僕は怒ってるんだ。あんたに不快な思いをさせられて気分を害しているんだ。僕の顔つき、態度でそれが分からないのか。しかも何だ? お腹が大きい? まさか妊娠? まさかこの歳で? というか、このおばさんは一体いくつなんだ。取りあえずおばさんのお腹に目をやってしまったが、おばさんは僕の思惑なんか気にも留めず、
「これからさ、絵画サークルの仲間と食事会だっていうのにさ、お腹が大きいの」
やはりお腹が大きいと言う。何を言ってるんだ。
「あなたイチゴ大福好き?」
益々、何を言ってるんだ。
「好きですが」
意図は分からないが、イチゴ大福は好きだからこれには答えられた。
「私さぁ、さっきね、イチゴ大福6個も食べちゃってお腹が大きいのよ」
「んっ?」
「貰い物なんだけどね、本日中にお召し上がり下さいって書いてあったから早く食べなきゃと思って箱の中の6個、全部食べちゃったのよ。食べてる時は凄~く美味しくてパクパクいけたんだけど、後で来ちゃったのよね」
おばさんは胃の周りを大儀そうにさすった。なんだ、その大きいかよ。普通は「お腹がいっぱい」とか「お腹が重い」とか、そういう言い方をするんじゃないのか。
あ、いや、そうでもないか。そういえば高校の時に関西から引っ越してきた転校生が馬鹿食いした後で「お腹が大きい」と言っているのを聞いたことがある。このおばさんも幼少期を関西で過ごしたか、もしくは親が関西方面の人ということも考えられるな。
「それでね、お腹を空かす為に外に出てきたの。冷たい空気にあたると胃がよく働くんじゃないかと思って」
今度は僕が首をかしげた。冷たい空気にあたると胃がよく働く? 反対に委縮するんじゃないのか?
「お腹を空かしたいんならじっとしていないで、歩くとか走るとか運動した方がいいんじゃないですか? それより、こんなところに長時間いたら風邪引いちゃいますよ」
数分立ち止まっただけの僕でさえ震える程の寒さなのに、薄着のおばさんの身体は芯から冷えているはずだ。しかしおばさんは手をチョイチョイと横に振り、
「私、寒さには強いの。でも運動は大嫌いなの。特に中、高の体育の授業なんて地獄でしかなかったわ。で、60歳を超えてからは一日2000歩を目安にして、それ以上は歩かないようにしているの」
自慢することではないのに、おばさんは得意気に顎をしゃくった。一日2000歩?って少な過ぎだろ。どうやったらそんな生活が出来るんだ。おばさん、そのうち筋肉不足でポテンポテンこけてしまいますな。
「じゃぁこの際、本当のことを言っちゃえば?」
それが一番だと思った。相手はちゃんとした大人なんだし、体調が悪い人に向かって無理に食べろなんて言うはずがない。理に適った言い訳だと思ったのに、おばさんは顔を真っ赤にして、
「何言ってんの、1カ月も前から予定していることなのに、大福6個も食べたなんて言えないわよ。自己管理も出来ない馬鹿なやつと思われちゃうじゃない」
目をむいて突っかかって来た。そっちこそ何言ってんだ。事実、自己管理が出来てないじゃないか。
「では、頑張って飲み食いするしかないんじゃないですか。液体胃腸薬でも飲んでその場を乗り切ってください。僕にはな~んも関係ないことですし」
フンと横を向いてやった。これ以上このおばさんの話を聞いていると益々腹が立ってきそうで今度こそ立ち去ろうと伊助を抱き上げると、
「液体胃腸薬ってなに?」
おばさんが僕の服を掴んできた。ああ、もう面倒くさい。
「テレビで宣伝してるじゃないですか、飲み過ぎで二日酔いとか、食べ過ぎで胃が重たいとか、そんな症状に効果を発揮するって」
思い切りつっけんどんに答えた。が、おばさんはめげなかった。
「そんな薬、うちにないわよ」
うちにだってそんな薬はない。
「薬局に行けばありますよ」
「薬局は遠いでしょ」
「駅前にありますよ」
「駅前は遠いじゃない、10分はかかるわよ。それに財布を持ってきてないから取りに帰らなきゃならないし」
ああ本当に面倒くさい。そうですか、はいはい、分かりました。じゃぁ納得がいくまでここで体を休めててください。うざいです。もう無理です。これ以上あなたとは喋りたくありません。まだ何か言いかけているおばさんを残して階段を掛け下りて行った。

ところが、次の日の夜7時頃、またしても内科医院から出てくるおばさんを見てしまった。昨日と違って温かそうなコートを着ている。やっぱり風邪を引いてしまったのか、それとも食べ過ぎで胃を壊してしまったのか。気にはなったが、おばさんが僕に気が付いていないのを幸いにそのまま見送ろうとした。なのに、おばさんを見つけた伊助が昨日と同じようにわんわん吠えて、気付いたおばさんが振り向いてしまった。
「あ、昨日のお兄ちゃん」
ああ、伊助のばかたれ、なんで吠えるんだよ。あのおばさんとは関わりたくないんだって。リードを引っ張って横道にそれようとしたが、
「お兄ちゃんお兄ちゃん、ちょっとちょっと」
大声を出しながらおばさんが駆け寄って来た。
「あのさぁ、あんたがさ、昨日頑張って食べてこいって言ったせいで朝からお腹のピーピーが止まらないのよ。ずっと我慢してたんだけど、どうにも痛くてお医者さんに診てもらいに来たの」
目の前で薬の袋をガシャガシャ振ってみせた。
『何だってんだよ、そんなこと知らねえわ。元々はイチゴ大福を6個も食べて、あんな場所に長時間突っ立ってる自分が悪いんだろ、人のせいにしてんなよ』
言いそうになったが、ぐっとこらえた。すると、
「それは兎も角、お兄ちゃん、ちょっとお願いがあるのよ」
おばさんはコートのポケットからピンクのガラケーを取り出した。
「ほらほら、これなんだけどね」
おばさんが見せた画面に、おばさんと小太りでハゲ頭の男性とのツーショット写真が写っていた。
「昨日この人が来てたのよ。誰かの紹介で入会したらしいんだけど、まさか彼が来るなんて夢にも思わなかったからびっくりしてね。ギリギリまで行くのを止めようかと思ってたんだけど、ほんと行って良かったよ」
おばさんは嬉しそうに僕を見上げた。ふ~ん、行って良かったのか、なら良かったじゃないか僕にはどうでもいい話だが、文句を言われるよりはずっといい。
「それでさ、この写真、壁紙っていうの? 開けたら一番最初に出る画面、あれにして欲しいのよ。色々やってみたんだけど、どうしても上手く出来なくてさ」
写真を見せるおばさんは、えらくしおらしかった。昨日はずっとしかめっ面で気が付かなかったが、改めて見てみると結構端正な顔立ちをしている。若い頃は持ててたのかな。余計なことを考えながら彼とのツーショット写真を待ち受け画面に持ってくると、
「おおっ凄い、感動だわ。さすが若い子は違うね。ああ嬉しい、ほんと有難うね」
おばさんは少女のように頬を赤らめた。何回か開けたり閉じたりを繰り返し、間違いなく設定されていることを確かめた後、
「ね、彼いい男でしょ? 私の初恋の人なの。高3で同じクラスになって、ずっと私の隣の席にいたのよ。でも1学期の終わりにお父さんの仕事の都合で転校しちゃって私の片思いもそこで終わり。その後さ、彼が使っていた椅子と自分の椅子を取り換えて、席替えの度にその椅子を持って移動してたんだ。お陰でお尻がぬっくぬくよ」
おばさんは嬉しそうにへへへへと両肩を揺らした。人が喜んでるのを見るのは嫌いじゃない。だから僕も釣られてちょっと笑ってしまった。

「それから45年経って昨日の再会って訳よ。ちょっと太目になってたけど、すぐに彼だって分かったわ。名刺をくれたんだけど有名な建設会社の役員でね、びっくりしちゃった。向こうも私のこと覚えてくれててさ、もう一生会えないと思っていたから嬉しくて嬉しくて」
おばさんの顔は緩みっぱなしだった。僕にはこの写真の小太りでハゲ頭の男性が男前とは到底思えないのだが、顔はともかく恵比須様のような笑顔で写っているので性格が男前だったのかも知れない。少なくともおばさんにはど真ん中のストライクだったのだろう。
「名刺をくれたということは、これからも宜しくってことですよね。上手く行くといいですね」
本当にそう思ったので、自然とその言葉が出た。
「でもね、私はね、亭主が死んじゃってるから少々羽目を外してもいいんだけど、彼には奥さんがいるのよ。だから二人きりでお茶をしましょうってわけにはいかないのよね」
おばさんはちょっと残念そうに声をしぼめた。
「そんな、お茶を飲むくらいいいじゃないですか」
年も年だし、二人きりと言ってもお茶くらい何の問題もないだろうと思ったが、おばさんは首を左右に振り、
「だってさ、私だって亭主が生きてて自分の知らないところで他の女とお茶してるなんて嫌だもん。年をとっても焼きもちは焼くのよ。1回目は軽い気持ちのお茶が2回、3回と重なるうちに次のお茶を期待するようになっちゃうでしょ? 消し炭の火って結構侮れないのよ。だから、奥さんが生きてる間はややこしいことはしちゃダメって思っているの」
だらけていたおばさんの顔がすっと引き締まった。45年の時を経て初恋の人と再会した瞬間ってどんなだろう。探しても探しても見つからなかった大事な物が、ある日突然、なんの前触れもなく目の前に現れた時の感動に似ているだろうか。
「じゃぁ向こうの奥さんが亡くなられたら攻めてみますか?」
野次馬根性で聞いてみた。
「そうね、気力と体力が残っていればね」
おばさんは照れくさそうに笑った。
「10年後なら大丈夫そうですか?」
さらに茶化してみると、
「いやぁ、あの体型だからね、10年後には彼の方がいなくなってると思うよ」
今度は声を上げて笑った。笑いながら再度待ち受け画面に目を落とすと、
「彼ね、私の兄に似てるんだ」
ふわっとつぶやくように言った。
高校入学と同時に大好きだった5歳上の兄が事故死し、高校3年のクラス替えで兄そっくりの彼を見た時に一瞬息が止まったと言う。その日以来、彼と同じ教室にいるというだけで幸せな気分に浸れたとも言った。
僕にも3つ下の妹がいる。年々綺麗になっていってるのでつまらない男に引っかからないように常にアンテナを張り巡らせている。その妹が急に僕の視界から消えるなんて想像も出来ないが思春期に兄を失ったおばさんの衝撃はかなりなものだったと思う。今は遠い思い出になった兄と今を生きている彼との共通点や、反対に驚くほど違っている点を身振り手振りで面白可笑しく話すおばさんの表情は生き生きしていた。
「あ、余計なことをベラベラ喋っちゃったわね」
一頻り話し終えたおばさんは、罰が悪そうに半笑いした。
「そんなことないですよ。僕はまだ泥水も荒波も被ったことがないので結構興味深かったです。これから先のことは僕自身も全く予想が付かないけど、出来る限り平穏な状態で一生を終えたいとは思ってますけどね」
本音を言った。波瀾万丈の人生なんて真っ平ごめんだ。野心とか野望とかそういう言葉で自己を奮い立たせるのも、僕の心情には合わないと思っている。
とは言っても平均点の人生を望んでいるわけではないので、自己啓発の為の努力は必要だし、自己保身の為のあざとさ等は必要悪だとも思っている。おばさんはそれに対しては言葉を返さず何かに思いを馳せるような仕草をしてから、うんうんという風に2、3回頷いた。それ以後プツっと話が途切れ、ちょっと気まずい空気になったので、
「伊助、そろそろ帰ろうか」
退屈そうにしている伊助に声をかけた。するとおばさんが、
「お兄ちゃん、昨日はごめんね」
前日の歩道橋での振る舞いを謝って来た。

3年程前のこと。家の近くで足をくじいて困っていたら、通りすがりの青年がおんぶして家まで送ってくれたという。思いがけない親切に触れ、何度も感謝の気持ちを伝えた。ところが青年が帰ったすぐ後にテーブルに置いたはずのバッグがないことに気が付いて、警察に来てもらって事情を話したが、彼が盗ったという証拠はなく、途中でバッグを落とした可能性もあると言われた。家に入ってからお礼にコーヒー代にと財布から1000円札を出したから間違いなく家の中にあったと説明したが、被害届は受理するが戻ってくるのは難しく、取りあえずバッグに入っていたカード類を停止するように言われた。
バッグの中には財布とカードの他に携帯電話や知人の住所録も入っていて、長い間不便を強いられ、それ以来見知らぬ人の親切に懐疑心を抱くようになったと言う。
「ほんとはね、あんなこと言うつもりじゃなかったのよ。でも気分は悪いし、時間はないわで、ついあなたに当たってしまったの。とんだ迷惑おばさんだったわね」
申し訳なさそうに両の手を合わせた。うん、確かに迷惑おばさんだった。でも、被害に遭った時の腹立たしさはよく分かる。自分もそんな目に遭ったら悔しさが先に立つし、人の弱みに付け込んだ卑怯な行為はやっぱり許せない。その男が目の前に現れたら一発殴ってやりたりたいとも思う。
3年経った今でもその青年の顔を覚えているか聞いてみたら、
「もう鮮明にね」
おばさんは腰を折ってケラケラと笑った。その笑いを切りに、
「じゃあね、今日はあなたに会えてよかった。ほんと有難うね」
携帯をコートのポケットに仕舞い、身体を返して歩き出した。おばさんが角を曲がって見えなくなってから、僕も伊助と一緒に歩き始めた。ところが、10m程歩いたところで携帯の着信音が鳴り、立ち止まって確認していると、
「お兄ちゃ~ん」
大声を出しながらおばさんが戻って来た。運動嫌いと言ってたおばさん、さっきも走ってたけどお腹大丈夫かなと心配していると、
「ねえ、記念に一緒に写真を撮ってくれない?」
はぁはぁ言いながら僕の目の高さに携帯を突き出した。何の記念かと思ったが拒否する理由もないので、飛び切りの笑顔でおばさんと一緒の画面に収まった。歳の差カップルのようでなかなかいい感じに撮れていたが、大好きな彼を差し置いてこの写真が待ち受け画面になることは永遠にないんだろうなと苦笑いしてしまった。
「男前の伊助ちゃんもね」
伊助とのツーショット写真も撮り終えると、おばさんは満足そうに手を振って帰って行った。伊助が吠えなければこんな風に感情を交えることもなく、おばさんについてはただただ鬱陶しいだけで、記憶に残ることのない剥がれ落ちたかさぶたのような存在で終わっていた。
だから今日、節度を重んじるおばさんの一片を見られたことで、人は色んな角度から見てからでなければ無責任なレッテル貼りをしてはいけないんだなとちょっとばかり反省してしまった。
といって、社会に出たばかりの青二才の僕が人生の長い道のりを歩いて来たおばさんの生き様を詮索するのは、それはそれでおこがましいことであると思う。ではあるが、吠え癖のある伊助をナビに、今度また何処かで出会うことがあったら、その時は飛びきりの笑顔でお茶に誘ってみるのもいいなと思った。

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