君ちゃんは太った女の人が窓の下を通ると
「ねえ、あの人と私、どっちが太ってる?」
いつもおいらに聞いてくる。明らかに君ちゃんより太い時は自信を持って、
「君ちゃんの方が細いよ」
と答える。そうすると君ちゃんは嬉しそうに笑う。
「あの人の方が太いよ」
じゃなく、
「君ちゃんの方が細いよ」
と言う。何故かというと君ちゃんは “細い” という言葉が好きなのだ。でもそうじゃない場合が困る。少しの差なら、
「君ちゃんの方が細く見えるよ」
と言えるが、君ちゃんも確実に自分の方が太いと分かって聞いてくる時があるので、その時は寝たふりをする。君ちゃんは自分の体重を言わない。おいらの見たところでは60kg 前後だと思う。身長は155 cm。柱に印をつけて “やっぱり 155 かぁ” と言ってるのを聞いたことがある。今より15kg 痩せるのが理想らしい。最初の5kgの減量はすぐなのに、そこからが動かない。動かないからやる気がなくなる。そこで気を抜くとたちまちリバウンド現象がやってくるのが分かっているのに、どうも意志が弱い。美味しそうにアイスクリームを食べている君ちゃんを見て “ だから痩せないんだ ”と思う。でも君ちゃんの幸せを壊したくないので見て見ぬふりをする。
君ちゃんがダイエットし始めるのはいつも恋をした時だ。それも片思いばかり。おいらは容姿なんか気にしないから少々おデブになっても一日2個の猫缶とカリカリをお腹いっぱい食べる。
それでも足りない時は自慢の猫なで声でスリスリすり寄る。君ちゃんはやさしいからスルメや竹輪をくれる。
「病気になったら大変だから沢山はダメだよ」
と言いながらシュークリームまで舐めさせてくれる。

君ちゃんとおいらの出会いは7年前の雨の日。車に引かれたおいらを病院に連れて行ってくれた。右の後ろ足が複雑骨折しているとかで、
「この足はもう動かないですね」
お医者さんに宣告された日から君ちゃんはおいらの母ちゃんになった。片足が動かなくて外で遊ぶことは出来なくなったけど、君ちゃんが低い箱を段々に置いて、いつでも窓の外を眺められるようにしてくれた。

君ちゃんの仕事場は近くの小規模スーパー。商品管理を任されていて、忙しい時はレジにも入る。君ちゃんが仕事でいない時は窓から道行く人を眺めたり居眠りしながら君ちゃんが帰ってくるのを待つ。仕事から帰った君ちゃんは真っ先においらを抱っこしてくれる。テレビを見ている君ちゃんの膝はおいらの特等席。夜は君ちゃんの柔らかいお腹にもたれて眠る。腹ペコで寒さに震えていた野良時代は遠い昔。今のおいらは世界一の幸せ者なのだ。

君ちゃんがまたダイエットを始めた 。携帯の待ち受け画面を見てはニヤニヤしている。チラ見したら君ちゃんと金髪の男が並んで写っていた。君ちゃんは地味目な女の子なのに好きになる相手はどういうわけかチャラ男が多い。チャラ男は往々にして頭が悪く比例したように品もない。
その金髪チャラ男が家にやってきた。後ろからまつ毛バサバサの金髪チャラ子も入ってきた。身体のあちこちに安物のアクセサリーがぶら下がっている。でもチャラ子にはちゃんと彼氏がいてチャラ男とはカップルではないらしい。
「わぁ~可愛い」
チャラ子がおいらを見つけて触りに来た。腕を上げて “ オツムてんてん” をやらされる。うっとおしいのでベッドの下に潜り込もうとしたら、
「あれぇ、うしろ足引きずってるよ」
おいらの足を見て大声を出した。
「交通事故で右足が動かなくなっちゃったの」
君ちゃんが答えると、
「ふ~ん、可哀相ね」
可愛いが可哀相に変わった。
食って騒いで3時間ほどして二人は帰って行った。チャラ男を見送った君ちゃんはニコニコ機嫌がいい。君ちゃんの膝の上に乗ると、
「ぽんちゃん、あの人どう思う?」
おいらの顔を覗き込んできた。
「君ちゃんに合わない、やめておいた方がいい」
いつもならおいらの言うことが通じるのに今日は何故か通じない。
「あたし絶対綺麗になるからね」
君ちゃんは通販で買ったスリムなんとかいう器具で運動を始めた。

その日から君ちゃんはチャラ男にマンションまで送ってもらうようになった。でも部屋の中には入れずマンションの入り口でさよならをしている。君ちゃんにも送り狼の心得はあるらしい。
2階の窓からチャラ男が帰ったのを確認してからドア前で君ちゃんを待つと、ガチャガチャとカギの開く音がして君ちゃんが入ってくる。
「ぽんちゃん、ただいま~」
今日の君ちゃんは一段と機嫌がいい。
チャラ男に送ってもらうようになって2か月が経っていた。
「今日ね、信くんが手を繋いできたの」
君ちゃんが嬉しそうに言った。あちゃぁ、とうとうチャラ男の攻撃が始まったか。やばいよ君ちゃん、あいつはよくないって、何か魂胆があるに違いないって。でも君ちゃんは聞く耳を持たない。無力なおいらはどうすればいいんだ。

チャラ男は君ちゃんの働いているスーパーの客だった。君ちゃんがレジに入っている時は君ちゃんのレジに並び、店内で品出ししている時はチラチラ気を引く行動をとる。君ちゃんはチャラ男の顔を覚えるようになり、ある日の仕事終わりにチャラ男から声をかけてきた。君ちゃんに警戒心はなかった。それどころか君ちゃんは声をかけられるのを待っていたのだ。
で、チャラ男はどういう人物かというと「ぷー太郎」なのである。何をして食べているのか分からない。どこに住んでいるのかも分からない。何かに長けている様子もなければ殊勝な趣味もない。だらしない服装がカッコいいと思っているだけのおちゃらけ野郎なのだ。
君ちゃん、もうすぐ30歳だよ、チャラ男はまだ23歳だよ。人生経験も浅く、まともに働かないやつに惚れてどうするんだよ。しかし、おいらの心配をよそに、君ちゃんはチャラ男に夢中になっていった。

暫くして君ちゃんが預金通帳を見始めた。残高を見てため息をついている。二人でご飯を食べた時の支払いはいつも君ちゃん。服や靴などの身の回りの物もよく買ってやっている。預金が減っていってるに違いない。心配そうに君ちゃんを見上げるおいらに、
「ぽんちゃん、あたし結婚するかも知れない」
君ちゃんが顔を赤らめて言った。ええーっ、ちょっと待ってよ、結婚?ぷー太郎と?君ちゃんがあいつを養うっての?あいつがおいらのお父さんになるっての?ダメだよ冗談はやめてくれ。
あまりのショックでおいらは君ちゃんの傍に寄らなくなった。あいつが君ちゃんの横で寝る日がくるのかと思うと寒気がする。決して焼きもちを焼いているのではない。ちゃんとした男と結婚してくれるのなら大賛成なのだ。収入もない男と結婚したら苦労するに決まってる。君ちゃんが泣く姿なんか見たくないよ。なのに君ちゃんはチャラ男が好きでたまらない。チャラ男以外見えていない。君ちゃん、お願いだから目を覚ましてくれよ。

おいらは怒った。君ちゃんが呼んでも行かない。膝にも乗らないし、抱っこされてもすぐに手から離れた。
「何なのよぽん、可愛くない」
君ちゃんの目が三角になり、口が前に突き出た。君ちゃんも怒った。餌の時間がいい加減になり、うんちの片付け方も雑になった。この状態が続けばしまいに追い出されるかも知れない。君ちゃんごめん、でもおいらあいつが嫌いなんだ。この部屋に入れて欲しくないんだ。
しかし、おいらの願いもむなしく、ついに君ちゃんがチャラ男を部屋に入れた。最初にチャラ男とチャラ子が来た日から三か月が経っていた。チャラ男の態度は大きく、すでにこの家の主のようであった。
「腹減ったわ、ピザを注文してよ。ポテトとサラダも頼むわ」
煙草を吸いながら顎をしゃくるチャラ男。届いたピザの支払いはもちろん君ちゃん。おいらは窓の外を見たまま知らん顔をしていた。チャラ男のくちゃくちゃ音を立てて食べる姿は見るだけで吐きそうになる。

テレビを見ながら馬鹿笑いしていたチャラ男がいきなりおいらを掴んだ。
「ほれ、ピザを食いな、いい匂いだろ?」
半分齧ったピザをおいらの口に押しつけてきた。おいらは顔を背けて抵抗した。
「ぽんちゃんはピザは食べないのよ」
君ちゃんが慌ててチャラ男を制した。
「なんで食わないんだよ、美代子ん家の犬は旨そうに食うぜ」
チャラ男が不満そうな声を出した。あの時のチャラ子は美代子という名前なのか。
「犬と猫は違うのよ。猫は何でもかんでも食べないのよ。ぽんちゃんが嫌がってるから余計なことをしないで」
君ちゃんの言葉にチャラ男がムッとなった。
「余計なことって何だよ。猫だって食うものがなければ何だって食うんだよ」
チャラ男はおいらの頭をピザの箱に押さえ付けた。一瞬、息が止まりそうになった。
「贅沢言いやがってこのクソ猫が。食うものを貰えるだけでも有難く思え」
憎々しげに叫ぶと、さらにおいらを掴みあげ、君ちゃんのベッドに叩きつけた。見かけと違ってチャラ男の力は強く、あまりの痛さに「ギャッ」と叫んでしまった。びっくりした君ちゃんがおいらを抱き上げた。
「止めてよ!ぽんちゃんに乱暴しないで!」
君ちゃんが大声で叫ぶと、頭に血が上ったチャラ男はピザの箱を足で蹴飛ばした。食べ残しのピザが君ちゃんの顔と髪にくっつき、腕や服にもソースが飛び散った。
「なんだよ、ブス女に片足猫、いいコンビだぜ全く。面倒くさいやつだよお前も猫も。うんざりなんだよ。おまえらの相手なんかしてらんねぇよ、もう帰るわ」
乱暴にドアを閉めて出て行った。
「ごめんねぽんちゃん、痛かったでしょ。骨折れてない?大丈夫?」
君ちゃんはおいらに頬ずりし、柔らかい手で身体を撫でてくれた。
「大丈夫だよ、心配しないで」
長く通じなかった言葉が通じた。
「ぽんちゃん、だいぶ前からあんなやつだと分かっていたんだけどね、好きだから我慢していたの。でもぽんちゃんを投げるなんて絶対に許せない。今、やっとあいつを嫌いになることが出来たよ。よかったよ本当によかった」
君ちゃんの目から涙がこぼれ落ちた。おいらだって君ちゃんを虐めるやつは許せない。
「ぽんちゃんあたしさ、もう少しであの男にお金を取られるところだったの。お母さんが難病で手術するから200万円貸してくれって言われてね。ところがさ、前にうちに来た女の子がいたでしょ?あの子に聞いたら信くんのお母さんは田舎でピンピンしてるっていうの。嘘をついてお金を取ろうとしてたのよ。そのことを信くんに言ったら急に機嫌が悪くなってさ、もう潮時かなって思ってたんだ」
そうか君ちゃん、お金を取られなくてよかったよ。やっぱりチャラ男は君ちゃんの貯金が目当てだったんだな。君ちゃんを幸せに出来る人間はあんなやつじゃないよ。心から君ちゃんを愛してくれる男性がいつか絶対に現れるからさ。その時はおいらも応援するからさ。これからは絶対に自分を安く見積もらないでね。

吹っ切れた君ちゃんのやることは早かった。チャラ男に別れのメールを送ると、番号もアドレスも削除した。待ち受け画面もおいらの爆睡写真に変更。照れちゃうけど嬉しい。
「O型はいつまでもウジウジしないんだ」
にっこり笑った君ちゃん、冷凍庫からアイススティックを出して思い切り齧った。勿論おいらにもペロペロさせてくれる。
「ぽんちゃん、今度こそちゃんとダイエットするよ」
今まで何回も聞いた言葉が今日は新鮮に感じた。雨降って地固まる、これでおいらの幸せも戻ってきた。君ちゃん、もうカスを好きになっちゃダメだよ。見てくれだけのチャラ男は卒業して少しくらい不恰好でも君ちゃんを大切にしてくれるやさしい人を見つけなよ。君ちゃんの幸せはおいらの幸せ。やさしい君ちゃん、大好きだからね。
 
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