誰も歩いていない静かな道を二人並んで歩いた。嬉しいような恥ずかしいような、妙に面映い気持ちでばあさんは落ち着かなかった。
「ふみちゃんと並んで歩くなんて初めてやな」
圭吾も照れ笑いをしている。
「プレゼントありがとう」
「?」
「ねこ」
返事の代わりにばあさんは照れ笑いをした。駅までの道のりは短かかった。改札口で別れの挨拶をし、階段を上がる手前で振り返ったら、圭吾はまだ同じ場所に立っていた。 ばあさんは嬉しくて顔の横で小さく手を振った。圭吾は手は振らなかったが笑い返してくれた。
電車は空いていた。ばあさんは猫の感触が残っている自分の手を見た。張りがなく、しわだらけの甲に浮き出た血管、お世辞にも美しいとは言えない。顔を上げた向かいの窓ガラスには紛れもなく年老いた自分の顔が映っていた。
『神様は年だけは公平に与えてくれるんやな』
思わず苦笑いしてしまった。
人生も終盤に差し掛かり自分の歩いてきた道のりを思う。
『一応のやりたいことはやって来たかな』
子供に恵まれなかったのは心残りだが、二人だけの生活は充分楽しかった。子供がいない分ずっと恋人気分でいられた。沢山のやさしさを残して夫が旅立って三年、ばあさんは今なお夫を愛している。二人にしか分からない苦労もあり、二人にしか分からない喜びもあった。同じ道を歩いてきた夫婦の絆は太くて重い。圭吾が言ったように初恋は初恋、夫である新造と培った年月こそ何物にも代え難い至極の宝物であった。
乗り換えの駅に着いて一旦電車を降りた。
「ちょっと、おばあさん、おばあさん」
後ろから誰かに呼び止められた。
「また、ばあさん言うとる、どこのどいつや」
むっとして声の主を振り返った。
「これ、おばあさんのじゃないですか」
高校生くらいの少年が切符を突き出した。 慌ててポケットに手を突っ込むと、入れたはずの切符がない。
「あ、ほんまや、ないわ」
「おばあさんが座っていた席に落ちてました」
言いながらばあさんに切符を渡すと、少年はさっさと行ってしまった。
「えらいおおきに! 有難うね!」
少年の背中に礼を言ったが、少年は振り返らなかった。
『えらい可愛らしい子やったな、綺麗なものを見ると気分がええな』
ばあさんがにんまり笑った。 今日も一日が無事終わろうとしていた。明日はまた違う何かに出会えるかも知れない。世界一の長寿国日本。顔中を占領している皺の数は自分の生きてきた証。まだまだやりたいことはいっぱいある。
『今度はパソコンでも習って見ようかな』
乗り換えの駅に向かって、ばあさんは足取りも軽やかに歩き出した。
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