小夏が結婚して二年後、ばあさんは見合いで川瀬新造と結婚した。見た目、地味で真面目を絵に描いたような男だったが、何故かばあさんの心を捉えた。自分にないものを新造はいっぱい持ちあわせていた。慌てず騒がず、それでいてやるべき事はきちんとこなす。ばあさんの数々の失敗にも決して大声を出さず、いつだってさりげなく手を差し伸べてくれた。川瀬新造と歩いた半世紀は何物にも代え難いばあさんの宝物になっていた。
「あんたん家、長いこと行ってないなあ」
ばあさんが懐かし気に言った。
「新造さんが亡くなる前に来たきりやから、四年近くなるかな」
「ああ、そんなになるんか。外では会っても家までは行かんもんな」
ばあさんはちょっとしんみりした。小夏と会う時は新造はいつも”ゆっくり遊んでおいでや”と送り出してくれていた。家に帰って玄関を開けた時の ”お帰り楽しかったか” と迎えてくれる新造の笑顔がたまらなく好きだった。
「あ、後でチョコレート買いたいからデパートに寄ってくれる?」
小夏の言葉に、
「なに?旦那の?」
ばあさんの顔がクエスチョンマークになった。
「他に誰がおるん」
「いや、私はそんなもん買うたことないから」
イベントものの商業ベースに乗せられるのが嫌いだった。だからバレンタインのチョコもクリスマスのケーキも買ったことがなかった。
「冷たいなぁ、今日買うて帰って仏壇にお供えしとき」
「お供え?」
仏壇で笑っている夫の写真が目の前にちらついた。新造からチョコが欲しいなんて聞いたことがなかったが、小夏が夫にチョコを贈っていると知って、ちょっと後悔してしまった。ひとつくらい渡しておけば良かったかなぁとちょっと後悔した。
「わたしら、あと何年生きるんやろな」
ばあさんのトーンが低くなった。
「今の日本の平均寿命は83歳らしいから、それで言うたらあと10年てとこかな」
能天気の小夏が平然と答えた。
「うーん、10年か」
「やりたいことがあったら今のうちにやっといた方がええで、寝たきりになったら何も出来へんからな」
小夏は週に一度ハワイアンダンスの教室に通っている。ばあさんは「腰振りダンス」と言ってからかっていたが、自分も新造が亡くなってから水泳教室で楽しさを覚え、やりもせずに柵の外から悪態をついていたことを大いに反省した。
「私は子供もいてへんしお金残しても仕方ないから、今のうちに旅行でもしとこうかな。世界遺産巡りってどう思う?」
「ええなあ、私も行きたい。マチュピチュ」
ばぁさんの思いつきにに、小夏の目が輝いた。
「別に海外やなくても日本の世界遺産でええやん。白川郷とか屋久島とか、近場では姫路城とか法隆寺とか」
「うん、冥土の土産に持ってこいやな」
「なに、ばば臭いこと言ってるん。冥土に土産なんかいらんわ」
ばあさんが顔をしかめた。二時間近くもそこにいて、二人は近くのデパートに向かった。翌日がバレンタインとあってチョコレート売り場は混雑していた。
「なんやこの騒ぎは、西洋かぶれの女ばっかりやな」
ばあさんは人の多さに舌打ちした。
「下手打ったな、いつもは一週間以上前に来てるからすっと買えたんや。あんたが今日会おう言うからその時でええかって思ったんや」
小夏も溜息を付いている。
「なに人のせいにしてるねん、ごちゃごちゃ言うてんと、早よ買うといで」
小夏を促して、ばあさんは人だかりから外れた。
待つこと30分、チョコレートの入った小さな紙袋を提げて小夏が戻って来た。
「もう、遅いなあ」
ばあさんが口を突き出した。
「前の女の子がいっぱい買うてるんや。おまけにいちいち自分が書いたメッセージカードをつけて包装してくれ言うてるねん。誰にあげるんやろな」
「人のことなんかどうでもええ、長いこと待ってたら喉渇いた。お茶でも飲も」
ばあさんが先に歩き出した。
「ふみちゃん屋上行こ、広くて気持ちええから」
小夏が人差し指を上に向けた。
「屋上は寒いわ、中がええ」
「寒いから人が少なくて、余計ええんや」
ばあさんを無視して小夏がエレベーターの方向に歩き出した。ばあさんが不満そうな顔で後を追う。屋上は小夏の言う通り閑散としていた。全体が園芸売り場になっていて、大小さまざまな植木が並べられていた。自販機で缶コーヒーを買い、ベンチに並んで腰を掛けた。
「そう言えば、長いこと空を見上げてないなあ」
目を細めてばあさんが呟いた。
「やろ?屋上で空を見上げると天に近付いたみたいで、なんか気分がええねん」
「うん、気分ええわ」
二人揃って空を仰いだ。雲が静かに流れている。頬をなでる風の冷たさが心地良く、ばあさんは胸いっぱいに冬の空気を吸い込んだ。 先にコーヒーを飲み終わった小夏が周辺の鉢植えを見出した。
「ちょっとちょっとふみちゃん、これ、ほととぎすって書いてあるけど知ってる?」
今を盛りに花を付けているフリージァの陰に隠れてその鉢はあった。ばあさんは近付いて小夏の指の先を見た。
「ほんまや、ほととぎすやわ、うちのベランダにあるで。新造さんが買うて来たんやけど秋になったら赤紫のちっちゃな花が咲くねん。寒さに強いから外に置いてても季節がくればちゃんと咲いてくれる」
「ふーん、丈夫な花やねんな」
小夏が頷いた。
「これの花言葉な ”永遠に貴方のもの” やねんて。私もついこの間知ってんけど、新造さん花言葉知ってて買って来てくれたんかなって思うとちょっと切なくてな。生きてる内に言ってくれよって話やろ?」
ばあさんは不満そうであった。小夏が釘を刺した。
「そんなこと男が嫁はんに言えるはずないわ、貰った方が気付かなあかんねん」
「え、そうなん? ああ、そうか。言いたくても恥ずかしくて言えんことってあるもんな」
言いながらばあさんは、遠い昔一目惚れした圭吾少年のことを思い出していた。
結局、葉っぱだけの元気の無いほととぎすを買うこともなく、その辺をうろうろしてから二人はデパートを後にした。
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