別れ
 

 それでも、どこかで「るい」に会えるかもしれない、そう思って外出時は辺りを注意しながら「るい」の姿を探していた。「るい」がいなくなって1カ月が過ぎた頃、河原の階段の奥の方に黒っぽい塊があるのが見えた。 
「え、まさか」 
 懸命に探し続けた「るい」が世間から隠れるようにひっそりと横たわっていた。麻衣のお手製の首輪は泥で汚れ、ふわふわだった毛は絡まって身体に張り付いていた。いつ死んだのだろう、まだ腐敗はしていなかったが半分ほどに痩せた身体は骨が浮き出ていて石のように硬かった。 
「ごめんねるい、見つけて上げられなくてごめんね。辛かったでしょ、怖かったでしょ、ごめんよるい本当にごめんよ」 
 「るい」を抱いたまま大声で泣きじゃくった。上着で「るい」を包んで家に連れて帰ると、市川が応接室のソファでテレビゲームをしていた。市川の前に行き、上着をめくって「るい」の亡骸を見せると、市川は驚いて立ち上がった。
「許さないからね、絶対に許さないからね」 
 「るい」を抱いて自分の部屋に向かう麻衣を、市川は呆然と見ていた。 

 それから数日後、母は市川を連れて家を出た。家族を捨てて愛人を選んだ父、娘を捨てて生活力のない男を選んだ母。「るい」を失った傷が癒えぬまま、更に大きな傷となって麻衣の心は深い海に沈んでしまった。
 母の残した手紙と一緒に麻衣名義の貯金通帳が置かれてあった。 

  麻衣へ 

  情けない母親を許して下さい。 
  市川をこれ以上この家に置いておくわけにいかないので 
  私が彼と出て行きます。 
  おじいちゃんのことを頼みます。 
  本当にごめんなさい。 


 手紙と通帳をゴミ箱に投げ捨て、その日を境に再び心を閉ざしてしまった。学校では不倫の父と男狂いの母に捨てられた哀れな娘と陰口を叩かれ、麻衣は誰の傍にも近寄らなくなった。唯一心を許せるのは祖父だけ。祖父のやさしさに包まれて、かろうじて立っていることが出来た。 
 その祖父が癌に侵されていると知ったのは、それから数か月後だった。内視鏡検査では見つけにくいスキルス胃癌。祖父から余命を告げられた日、麻衣は気が狂ったように泣き叫んだ。 ずっと痛みを隠していた祖父の告白に、自分も一緒に死んでしまいたいと思った。 

 祖父が逝ったのは二年生の始業式の朝だった。生前の祖父の希望で親戚にも知らせず、葬式も出さなかった。母にだけは連絡をと思ったが居場所を探し出すことが出来なかった。 
 祖父が残した一冊のノートには麻衣が生きて行く上で必要なことが書きとめられてあり、家の権利書や保険証書、預金通帳などが1つの箱に収められていた。 
 後日、訃報を知った父から電話が入り、線香をあげに行きたいと言ってきた。しかし娘を捨てた男に祖父も会いたくないだろうと勝手に判断し、申し入れを断った。 
 しばらくは学校にも行かなかった。自分を熱血だと思っている新婚の担任が今後のことを話し合おうと尋ねて来て、高校を出るまで親戚の家に身を寄せたらどうか、もしくは然るべき施設にお世話になったらどうか、今後の進路について一緒に考えさせて欲しいと熱心に語った。 
「じゃぁ、先生の家にお世話になります」 
 麻衣の言葉に担任の動きが止まった。 
「大学に行くつもりはないので、卒業までの間で結構ですから」 
「あ、うん、いや、それは」 
 担任は言葉に詰まっていた。 
「先生、親戚の家にも都合というものがあります。普段何の行き来もない親戚が高校生の娘を快く預かってくれると思いますか? 人一人預かるのにどれほどの覚悟と責任が必要か分かって言っておられますか?」 
 肩を落として帰っていく担任の後姿に 、
「あなたに私の人生は託せない」 
 声に出してつぶやいていた。