次の日から市川の横柄な態度が変わった。母親に説教されたのか、追い出されたら行くところがないと悟ったのか、祖父に対してもおとなしくなった。 だがその鬱憤は言葉を持たない「るい」に向けられるようになった。
「るい」を見つけると足で蹴飛ばし、離れたところにいると物を投げつける。「るい」は市川の気配で隅に隠れるようになり麻衣の部屋から出なくなってしまった。 事情を知らない麻衣が「るい」を抱いて居間に行くと、市川はニコニコ笑って「るい」を撫でに来る。しかし「るい」は市川に触られる前に麻衣の手から飛び降り、一目散に麻衣の部屋に逃げて行った。
「嫌われちゃったかな」
作り笑顔で繕うものの、背中を向けた市川の顔は憎々しげであった。
高校に入ってすぐにクラス対抗の合唱大会が行われ、その練習のために帰宅時間が遅くなっていた。夜7時頃に家に帰ると「るい」の姿がなく祖父もいなかった。祖父に電話をすると、胃の具合が悪いので近くの医院で診てもらっていると言う。外から帰って来た市川に「るい」のことを尋ねると知らないと言った。しかしその態度がおどおどしていて怪しかったので、再度尋ねると、市川はそれには答えず自分の部屋に行こうとした。
「待って、るいに何かした?」
麻衣が大声を出すと、市川はうるさいという風に顔を歪めた。
「ちょっと、るいに何かしたんじゃないの?」
市川の前に回って腕を掴むと、
「知らねえよ」
掴まれた手を振りほどき、麻衣から逃げようとした。
「何をしたの? るいに何をしたの? 言いなさいよ」
麻衣の剣幕に押された市川が、
「あいつが悪いんだよ。餌をやろうとしたら噛みつきやがったんだ」
噛まれた傷跡が残る手を出して見せた。
「餌なんて一度もやったことがないのに余計なことをするからでしょ。誰が餌をやってくれって頼んだのよ」
「腹が減ってると思ったんだよ」
市川も怒鳴った。
「るいは何処にいるの? 何処にやったの? 答えなさいよ。答えなさいよ」
麻衣の言葉が絶叫に変わると、
「うるさい!」
興奮した市川が麻衣を突き飛ばし、麻衣はバランスを崩して床に倒れた。
「捨てて来てやったよ、人に噛みつくような猫は捨てられて当然なんだよ」
市川の言葉に麻衣は呆然となった 。
「捨てた? 何の権利があって捨てたのよ。るいはあんたなんかよりずっとここの家の子なのよ。出て行くのはあんたでしょ。るいを何処に捨てたって言うのよ!」
立ち上がって、思い切り市川の胸を突いた。
「河原だよ」
「いつ?」
「今だよ」
麻衣は家を飛び出した。真っ暗な河原を大声を出しながら走った。焦げ茶の「るい」の姿は暗い河原では見つけにくい。それでも必死になって探し続けた。市川から聞いたのか、しばらくして祖父が河原にやってきた。二人で名前を呼びながら探し続けたが「るい」の姿を見つけることは出来なかった。
店から帰って来た母に祖父が事の始終を伝えた。母は麻衣の部屋をノックし何度も呼びかけたが麻衣はドアを開けなかった。 一睡もせず、あたりが白くなるのを待って麻衣は河原に向かった。後からやってきた祖父と探し続けたが、やはり「るい」は見つ からなかった。
「るい」がいなくなって一週間経った頃、祖父が言った。
「誰かやさしい人に拾われているかも知れないよ。るいは人懐こい子だからね」
祖父の言葉に頷きながら、そうであって欲しいと願った。
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