彼女の名前は山城麻衣、高校三年生。彼女の両親は彼女が10歳の時に父親の浮気が原因で離婚した。父親は慰謝料として先祖からの家と自分名義の預金全てを置いて出て行き、古い家に麻衣と母親と母親の父が残された。
麻衣は父が大好きだった。離婚を聞かされた時に大好きな父に付いて行きたいと泣いて訴えたが父は浮気相手と再婚するということで願いは叶えられなかった。娘が自分より父親の方を慕っていると知った母親はショックで娘の世話をしなくなった。
昼夜関係なく出歩き、深夜酔って帰ってくる。大声でわめき散らして、風呂にも入らず適当な場所でだらしなく眠る母親に、麻衣は次第に嫌悪感を抱くようになって行った。
祖父の作る食事で腹を満たし、祖父の洗濯してくれた服を身につける。祖父に参観に来てもらい祖父と肩を並べて家路を歩いた。麻衣の日常のすべてが祖父に託され、祖父なしの生活は考えられなくなっていた。
ある日のこと、麻衣が段ボール箱に捨てられている子猫を見つけてきた。縞模様のある焦げ茶の子猫。
『僕を拾ってください』
中にメモと缶詰が3つ入っていた。抱き上げると、ミーミー鳴いて麻衣に体を押し付けてくる。麻衣は子猫を持ち帰り、母親に飼わせて欲しいと頼んだ。母親はチラッと子猫を見て、
「好きにすれば」
何の興味も示さなかった。片手に乗る小さな猫に「るい」と名付け、学校に行っている間は祖父に面倒を見てもらい、帰って来てからは片時も「るい」を離さなかった。荒れていた庭を自分で手入れして「るい」の遊び場を作ってやった。「るい」が来てから麻衣は元気を取り戻し、祖父に協力して家の手伝いもするようになった。「るい」は麻衣の生活になくてはならない存在になっていた。
麻衣が中学に入ってから母親が飲み屋で働くようになった。暫くして店の客で市川という若い男を連れて帰るようになり、その男が2日経っても3日経っても帰らないので、
「あの人いつまでいるの?」
母親に尋ねると 、
「暫くいる」
短い答えが返ってきた。市川は1週間いることもあり、1カ月いることもあった。父親の部屋を勝手に使い、働かなくても食べさせてもらえる快適さから、とうとう家に住みついてしまった。
「あの人は誰なの?何故ずっといるの?」
たまらなくなって母に聞いた。しかし、
「あなたには関係ないから黙ってなさい」
母は取り合ってくれなかった。市川は根っからの怠け者で、働くという概念を持ち合わせていなかった。遊興費のすべてを母が与え、昼間はパチンコ店や競艇場に入りびたり、夜になると母の働く居酒屋でだらだらと時を過ごしていた。母と一緒に帰ってくることもあり、先に一人で帰ってくることもあった。
しかし、まだ20代の市川は麻衣の存在が気になり、すれ違いざまに偶然を装って身体に触ろうとしてきた。気持ちが悪いので母に訴えると、
「気のせいよ、自意識過剰じゃないの」
逆に咎められた。祖父も市川が嫌いだった。祖父に身の回りの世話をしてもらっているにも関わらず、感謝の一言もない。母親の前では祖父に気を遣っているふりをし、母親がいない時は主のように横柄な態度でふんぞり返っていた。
ある日のこと、風呂場の戸が少し開いた状態で、麻衣が後ろ向きで髪を洗っている姿を市川が覗き見していた。
「何をしてるんだ!」
気付いた祖父が大声を出した。
「あ、いや、戸が開いてたから閉めようと思って」
市川の弁解に祖父は激怒した。
「出て行け、今すぐ出て行け!」
祖父の怒った顔を見たことがない市川は、その剣幕に押されて家を飛び出した。祖父はすぐに母親に電話をかけ、二度とあの男を家に連れてくるなと怒鳴った。 深夜2時過ぎに帰って来た母親の後ろに市川がいた。
「連れて帰るなと言っただろ!」
祖父が怒った。しかし母親は市川の腕を掴み、
「ここは私の家よ、誰を連れて帰ろうが私の勝手よ。気に入らなかったらお父さんが麻衣を連れて出て行ったら?」
反対に父親を威嚇してきた。
「お前はそれでも母親か、娘の裸を覗く奴を家に置いておくと言うのか」
興奮している父親に 、
「あの子は私なんか必要じゃないのよ。あの子は私より父親を愛しているのよ。嫌いな母親の所にいる必要はないんだから、とっとと彼の所に行けばいいでしょ」
大声でわめき、市川を引っ張って自分の部屋に入って行った。二人のやり取りを聞いていた麻衣は愕然となった。と同時に、その時初めて自分の言動が母親を傷つけていたことに気が付いた。
自分だけが寂しい思いをしていると思っていた。自分だけが被害者だと思っていた。母親の寂しさなんて分かろうともしなかった。 自分を捨てて愛人の元に走った夫。その夫と一緒に暮らしたいと言った娘。今の母にとって市川だけが自分を癒してくれる唯一の存在だったのかも知れない。
次の日、ベランダでタバコを吸っている母の横に並んだ。
「お母さんごめんなさい、自分が世界で一番不幸だと思ってた。本当はお母さんが一番辛かったのに」
うつ向きながら小さな声で謝った。一瞬目を見開いた母は何も言わず麻衣の肩を抱き寄せた。
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