ふたつの時計
| そう思っていたのに・・・ 気が付けば、当日会社を休んで成田空港に行っていた。彼女を探して朝早くからウロウロ歩き回り、バッグを転がして歩く人をかき分け、彼女を見つけられないままヘルシンキ行きの2便が飛んでからハタッと思った。もしかしたら成田ではなくて羽田空港じゃないだろうか。羽田からはヘルシンキ行きの格安航空機が多く出ているし、また何らかの都合で出発日が変更になっているかも知れない。 自分はいったい何を期待してこんな所までやってきたのか。親戚関係でもなく、ハグをして別れを惜しむような間柄でもない。反対に「仕事休んで何しに来たの」と言われでもしたら、恥ずかしくてどう繕っていいか分からない。 惨めな気持ちになる前に帰ろう。飲み終ったコーラの空き缶をゴミ箱に入れ、出口の方向に向かって歩き出した。歩きながら通路の角を曲がる時にもう一度搭乗口付近に目を向けた。 「ん?」 ずっと先で赤い服の女性が手を振っているのが見えた。どこか大人っぽい感じだったが間違いなく山城麻衣だ。彼女と分かった途端、情けないことにそれまでの恨みがましい気持ちが吹き飛び、眉間のしわが一瞬で伸びてしまった。ゆるんだ顔を誤魔化すために口を一文字に閉じ、赤い服に向かって足早に歩き出した。 と、斜め後ろから中年の男女2人が僕の横を小走りで駆け抜けて行った。後姿を見てすぐに分かった。男性は麻衣の父親で、横の女性は多分再婚相手だろう。 娘を見送りに来たのか。そうか、遠い国に行くんだものな。見送りに来るのは当前だよな。 ん? 待てよ。ということは、 彼女が手を振っていたのは僕じゃなくて、後ろから来ている父親と隣の女性に向けてだった? 「えー、何だよ、もおっ」 半端じゃないがっかり感で、通路脇に移動するとその場にへたり込んでしまった。その位置からしばらく様子を見ていたが、そこに近づいていく勇気があるはずもなく、 「まあな、そりゃそうだよな。まあこんなもんだわな」 やがて搭乗案内が流れ、3人が搭乗口の方へ歩き出した。目で追っていると、 いやいや、また感違いかも知れない。格好悪い思いは一度で御免だ。首をぐるっと動かし、辺りを見回してから、もう一度彼女の方を見た。すると振っていた麻衣の手がメガホンに変わり、 「葛西さ~ん、ありがとー、さよならぁ~」 大きな声で叫んできた。 「ちょっ、ちょっと待って」 名前を呼ばれたことにびっくりして、赤い服に向かって走った。ところが搭乗口に着いた時には彼女は外国人の団体に押し込まれいなくなっていた。 「なんだよ、もう。後ろから人が来れば先に行かせればいいだろう。僕が走ってるのが見えてんだからさ」 中に入っていく乗客の後姿を見ながら悪態をついてしまった。しばらくその場に突っ立っていたが、やがて悪態が諦めに変わり、そして諦めが苦笑いに変わった。 あの後、父親と話し合って和解したのだろうか。そうだとしたらこんな素晴らしいことはない。彼女にとって父親こそが最良の理解者だし、それが一番自然な在り方だと思うから。 遠くから手を振ってバイバイする麻衣の顔は輝いていた。あんなに明るい表情の彼女は見たことがなかった。掴みどころがないというか変わった感性の持ち主で、振り回され感が半端ではなかったが、もうこれで会えないのかと思うと失恋に似た寂しさを覚えた。 搭乗口に背を向けて歩き出した時、後ろからポンポンと背中を叩かれた。振り向くと上品そうな老婦人が立っていた。 「赤い服を着た女の子からこれを預かりました。自分がいなくなってからあなたに渡して欲しいと頼まれましたので」 婦人は小さな紙袋を僕の前に差し出した。 「あ、はい、どうも、有難うございます」 礼を言って婦人を見送った。袋の中には小さな包みが入っていて、開けるとあの古い腕時計が出てきた。袋の底にノートの切れ端が一枚。 父を待っている時にあなたを見つけてびっくりしました。 まさか来てくれるとは思いませんでした。 物凄く嬉しかったです。 父と母は観光でヘルシンキに行きます。 私はヘルシンキから一人でククサの里ラップランドに向かいます。 いつか日本でククサのお店を持ちたいと思っています。 私がした無銭飲食と万引きですが、全部で19件10380円です。 おじいちゃんのノートにお店の名前と金額を書き込んでいたので 全部のお店にお詫びをして返金してきました。 止めるきっかけをくれてありがとう。 あなたに出会えて良かった。 心からそう思います。 いつかまた会える日を楽しみにしています。 それまでさようなら。 麻衣 さようならの後ろに不細工なハートマーク。それにも増して下手くそな文字。あまりにも彼女らしくて笑ってしまった。父親の相手の女性のことを母と書いていたことも驚きだったが、女性のやさしさが受け入れられたのだと思うと嬉しい気持ちになった。 僕に対する感情も悪くなかったと知り、遠くから彼女が手を振っていたのはやっぱり僕に向けてだった、と勝手に思って勝手に満足することにした。 ![]() 僕の机の上に時計がふたつ。持ち主を亡くして時を刻まなくなった時計と、僕には何の効力も発してくれない無愛想な時計。そのどちらもにずっしりした思いが詰まっている。 ふたつの時計は僕の心の道しるべ。動かなくても、実用性がなくても、僕の呼吸と共に僕の思いを刻んでくれる。10年先も20年先も、そのずーっと先も、ふたつの時計に癒されながら僕は歩いて行く。 -完- |
| 1 少女 | 2 再会 | 3 事故 | 4 目撃者 | 5 社会人 | 6 おばさん | 7 山城麻衣 | 8 るい | |||||||
| 9 別れ | 10 ククサ | 11 空白の15分 | 12 大吉 | 13 腕時計 | 14 親友の死 | 15 逮捕 | 16 ふたつの時計 |

