親友の死
 

 徹の症状が急変したのは深夜だった。母親からの電話で病院に駆け付けると病室の前に母親と真紀ちゃんがいて、僕を見るなり泣き崩れた。中に入ろうとすると、体を洗浄中で今は入れないという。経過も良好で特に気になる症状も見られなかった。いつかきっと僕に笑いかけてくれるとずっと信じていた。 
「一瞬目を開けて私を見てくれたの、でもそれきり」 
 母親が絞り出すように言った。最期の瞬間に立ち会えなかった事が悔しくて、何も言えなくて、何も聞けなくて、ただ茫然と立ち尽くしていた。 
 しばらく経って、部屋から看護師2人が出てきた。 
「お待たせしました、どうぞお入りください」 
 看護師が去って行き、3人で部屋に入った。徹の顔は穏やかで、今もまだ眠っているように見えた。苦しまずに逝けただろうか。母親と真紀ちゃんは徹の手を握り、いつまでも名前を呼び続けていた。 
 後日、徹の形見にと事故の衝撃で止まってしまった腕時計を渡された。時計の針は5時45分。この数字が僕と徹の運命を分けた時刻。アパートに帰って時計を握り締め、大声を出して泣いた。

 山城麻衣に徹の死を知らせる必要はないと思った。この事件には今後一切関わらないという約束だ。彼女と徹は何の面識もないし、逮捕の時と同様知らされた彼女も迷惑なだけだろうと思った。

 それなのに、そうと分かっているのに、気が付けば彼女の家の前に来ていた。明け方まで降っていた雨がからりと晴れ、石垣の縁に腰をかけて空を見上げると、前方に美しい円形の虹が浮かんでいた。
「ああ、日暈だ」
 子供の頃に数回見たことがあった。大きくなるにつれて空を見上げることもなくなり、くっきりと浮かび上がる暈を見るのは久しぶりだった。

 中学の時に科学の先生から教えてもらった。 
【 暈とは太陽や月に薄い雲がかかった時にその周囲に光の輪が現れる大気光学現象で、雲を形成する氷晶がプリズムとして働き太陽や月からの光が氷晶の中を通り抜ける際に屈折して発生する。
太陽の周りに現れたものを日暈(ひがさ・にちうん)、月の周りに現れたものを月暈(つきがさ・げつうん)という 】

 いつから出ていたのだろう、美しい日暈は徐々に薄くなって行き、やがて消えてしまった。それでもまだ空を見上げていると、
「あれ? この間のお兄ちゃん」 
 後ろから声がした。お向かいのおばさんだ。買い物帰りらしくスーパーの袋を提げている。 
「こんな時間に何故ここにいるの? あの家とっくに売れちゃったでしょ」 
「ああ、営業で前を通りかかったら空に暈が出ていたので見ていたんですよ」 
「かさ?」 
「まあるい虹なんですけどね、もう消えちゃいました」 
「まあるい虹? そんなのがあるの?」 
 おばさんは空を見上げ、不思議そうに首を動かした。 
「毎日見上げていたらそのうち見られますよ。3日続けて見られる日もあるそうですから」 
「へぇ~一度見てみたいもんだわね」
 おばさんがにっこり笑った。ホルスタインのようなおばさんが笑うとモルモットのようでちょっと可愛く見えた。

「あ、そうだ、麻衣ちゃん引っ越したの知ってる?」 
 思いがけない言葉に、びっくりした。
「いつですか?」 
「卒業式が終わってすぐだから2週間ほど前かな」 
「え、じゃぁ、ここはどうなったんですか?」 
「知らない、不動産屋が買い取ったんじゃないの。ああ、あんたんとこも不動産屋だったわね。麻衣ちゃんさぁ、出ていく日にお菓子持って挨拶に来たのよ。あの子にはずっと怒ってばかりだったからびっくりしちゃってさ、子供の頃の可愛い麻衣ちゃんを思い出しちゃった。元気でねって握手したのよ」 
 言いながらおばさんは嬉しそうに笑った。 
「お父さんのところに行ったんでしょうか?」
 気になって聞いてみると、 
「知らないよ、そんなこと聞く権利ないからさ」 
 おばさんは顔をしかめた。
「お父さんの住所か電話か分からないですかね」 
 さらに聞いてみると、口がへの字になり、
「だからさぁ、そんなもの分かるはずがないって言ってるじゃん」 
 口を突き出して家に入ってしまった。 

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