一月の中旬、康祐は夜の新幹線で東京に向かった。家に着いたときは11時を過ぎていた。母が玄関で出迎えてくれる。疲れた?お腹空いていない?何か飲む?靴を脱ぐ間も実にせわしい。
「新幹線の中で食べてきたから何もいらない」
「じゃあ、お茶だけ入れるね」
久しぶりの息子を母は構いたがった。
「店の方、順調で良かったね」
「うん、絶対苦戦すると思ってたから凄く嬉しい」
「斉藤さんって販売の天才らしいわね」
「そうだと思う、あの人が接客すると凄い確率で成功するんだ」
「お父さんもほっとしているみたい」
「一番心配していたのが親父だろうからね」
母の入れてくれたお茶を飲みながら、やはり美味しいと思った。
「沙智の様子どう?」
「さっきまで練習してたけどもう寝たんじゃないかな。私よりリラックスしているのよ」
「あいつってさ、心臓そのものは弱いのに違う意味の心臓は強いんだよな」
康祐の言葉に母が声を上げて笑った。しばらく妹の話で盛り上がった後、自分の部屋に戻った。4ヶ月ぶりの部屋。たった4ヶ月なのに懐かしいと思った。お気に入りのCDをかけ、ベッドに身を投げ出す。和音の声が聞きたくなって携帯を取り出したが、日付が変わっているのに気付き、そのまま蓋を閉じた。
朝になり、ドアをノックする音で目が覚めた。母が顔を覗かせる。
「康祐、先に出るからね、お父さんと遅れないように来てよ。食事はテーブルに置いてあるから」
「うん、わかった」
母の足音が消えて、しばらくしてベッドを抜け出た。台所でコーヒーの用意をしていると父が起きてきた。
「おう、帰ってたのか」
父も眠そうである。
「今日は休みなの?」
「沙智の演奏が終わったら会社に行く、お前はいつまでいるんだ?」
「今日帰るよ、コンテストが終わったらその足で帰る」
「何だ、母さんお前が帰ってくるのを楽しみにしていたんだぞ」
「仕事だよ仕事、ローテーションを組んで休みを取ってるから無暗に休めないんだよ」
本社と違って店舗は正月以外は年中無休のため、急に誰かが休むと周りのスタッフにしわ寄せが行く。急病などの場合を除いて最低限のローテーションは守らなくてはならなかった。
父が店の様子を聞いて来た。
「今のところ何のトラブルもないよ。斉藤さんが上手く仕切ってるからだと思う」
「彼女を店長にして正解だったな」
「店長会議で会ってるんでしょ?」
「ああ、彼女はどの店長よりも輝いているよ」
父は満足そうであった。
「斉藤さんに何か伝言があったら聞いておくけど」
「そうだな、とりあえず頑張ってくれ、かな」
「それだけ?社長ってもっと厳しいんじゃないの?」
「今はまだ口出しをする段階ではない。余計なことを言ってかき混ぜると彼女を店長にした意味がなくなる。彼女には天賦の才能があるんだ。何万人に一人の逸材だよ。彼女の技量によって、あの店がどんな存在感を示して行くか楽しみにしているんだ」
父は斉藤香織の力を高く評価しているようであった。
「実は撲もさ、斉藤さんが接客している時は商品を整理するふりをして、こう、耳をダンボにして聞き耳を立てているんだ」
康祐のジェスチャーを加えての解説に、父は目を細めて笑った。朝食を済まし、使った食器を片付けて家を出た。目的地まで車で30分。開始時間まで間があったのでロビーにいると母が探しに来た。
「何してるの、早く入ってよ」
どういう訳かいらついている。
「ああ、嫌だわどうしようドキドキする」
席に着いてからも、きょろきょろと落ち着きがない。
「沙智は何番目なんだ」
母と違い、父には緊張感がなかった。
「6番目よ」
「ということは昼前には会社に行けるな」
腕時計を覗き込む父に、
「やめてよ会社の話なんか、沙智のこと心配じゃないの」
眉をつり上げて母が怒る。
「康祐は終わりまでいるんでしょ?」
「いるよ、でも終わったら帰る」
「えっ、家に戻らないの?」
「明日仕事だから早い目に帰りたいんだ」
「休み取ってこなかったの?」
「少ない人数で回してるから無理が言えないんだよ」
父に言ったのと同じ説明をする。もう!という風に母は椅子に持たれた。程なくコンテスト開始のアナウンスが流れ場内の照明が落とされた。ドレスアップした演者が順を追って登場してくる。演者の誰もが沙智より上手く聞こえ、演奏が終わるたびに母はため息を付いていた。しかし、淡い桜色のドレスを着て出てきた沙智は母の心配をよそに実に堂々としていた。演奏が終わって一礼する沙智への予想を超えた拍手に、母はまるで自分への賞賛のごとく頬を紅潮させていた。
父が居なくなってからもプログラムは予定通りに進行し、最後の演奏が終わって結果が発表されるまでの間、少しの休憩が挟まれた。無事演奏が終わったことで安心したのか、結果を待つ母の顔に険しさはなかった。優勝者の名前が沙智ではなかった時もさして残念そうではなく、母にとってのこのコンテストは参加することに意義があり、失敗なく演奏を終えられたことの満足感の方が大きかったのかも知れない。
「沙智に素晴らしかったよって言っておいて」
上機嫌の母を残して康祐は会場を出た。帰る前に本社に向かった。営業部のドアを開けると同僚が声を掛けてきた。書類を見ていた課長も顔を上げ、
「おう菱木君、久しぶりだな」
笑顔で迎えてくれた。
「なかなかいい成績を残しているそうじゃないか」
「いやぁ、一般のお客さん相手はやっぱり厳しいです」
機嫌よく話をしている最中だった。松浦京子がお茶を運んできた。
「この間はどうも、あんな所で会うなんてびっくりしました」
コップを置きながら上目遣いに康祐を見てきた。横にいた後輩が不思議そうに二人を見比べた。
「何処かで会ったの?」
「お正月に友達と大阪に行ったんです。そしたら菱木さんとばったり会っちゃって」
「へえー」
「菱木さん、綺麗な女の人と一緒だったんですよ」
京子が意味ありげな目つきをした。 人前で触れて貰いたくなかった。
「えーなんだ菱木さん、もうあっちでいい人見つけたんですか」
後輩が大袈裟に驚いて見せた。康祐はびっくりした。京子と話している間、和音はいなかったはずだ。あの後、遠くからでも見られていたのだろうか。
「いや、そんなのじゃないよ、ただの知り合いなんだ」
受け流しはしたが内心うろたえていた。京子はそれ以上は言わず、自分の席に戻って行った。1時間ほどで会社を出たが京子の言葉が気になっていた。新幹線の中で新聞を広げるものの内容が入ってこない。何故こんなに落ち着かないのだろう。外の景色に目を移しながら気味の悪さを感じていた。
大阪に戻って1ヶ月が経った。その間、和音とは二度ほど会って食事をした。何事もなく穏やかに過ぎていく日々の中で、京子のことは単なる思い過ごしだと思うようになっていた。
閉店後に店を出たところで和音からメールが入った。
〔クロちゃんが初めて抱っこさせてくれました。意外と軽かった〕
猫マークの後ろに、ぴかぴかのハートマーク。
〔抱いたら蚤がうつるんじゃないの?〕
冗談で返した康祐のメールに、
〔なんでそんな冷たいことしか言えないの、記念すべき日なのに〕
怒りの返事。まずい。メールを打ちなおそうと道路脇に移動して、人の気配で顔を上げた。
一瞬、息が止まりそうになった。松浦京子が目の前に立っていたのだ。
「こんばんわ」
立ち尽くす康祐に、京子はにっこり笑って頭を下げた。
「そんなに驚かないで下さいよ、追い剥ぎじゃないんだから」
気になる含み笑いに、
「どうしたの、こんな時間に」
思わず後ずさりした。
「暇だから来ちゃった。菱木さん、晩御飯まだでしょ?私もまだなの。一緒に食べませんか」
1ヶ月前に感じた嫌な予感が頭をもたげた。断るわけにいかず、並んで歩きながら胸騒ぎを覚えた。
「ここどうですか?」
和食屋の前で京子が立ち止まった。
「いいよ」
京子の後に付いて入り、案内された席に座った。
「菱木さん何にします?私、和定食にしますけど」
「一緒で」
注文を聞きに来た店員に二人分の和定食を頼んだ。
「姉が結婚して大阪にいるんだけどね、旦那が海外出張中で子供と二人きりだから遊びに来てってずっと言われてて、今日はこれから姉の家に行くの」
言いながらテーブル越しに身を乗り出してきた。
「初めて大阪に来たのが姉の結婚式の時でね、その日がすごい大雨で新婚旅行を見送ってから梅田の地下街に入ったの。東京の地下街ってひたすら歩かされるって感じだけど、大阪は縦横無尽にお店があって退屈しないのよね。地下にあんな大規模な街があるなんて思いも寄らなかった。さすが商売の街だなあって感心しちゃった」
京子の話を聞きながら、地下街の感想などどうでもいいと思った。
「どうしたんですか菱木さん、体調でも悪いんですか?」
話に乗ってこない康祐に、京子が不満そうに唇を突き出した。
「あ、いや、僕に何か用なのかなと思って」
「そうね。用といえば用。うん、あるような、ないような、やっぱりあるかな」
「悪いけど、用があるのなら早い目に言って欲しいんだけど」
持って回った言い方にいらっとした。じらされたくなかった。用があるのなら早く言って欲しいこの場所に長く居たくもなかった。
「そんな急がなくたっていいじゃないですか、ゆっくり食べながら話しましょうよ。お店のことも色々聞きたいし」
思わせぶりな京子の態度に、康祐が明らかに不快な表情を浮かべた。
「なんか菱木さん機嫌悪いですね。久しぶりに菱木さんと食事が出来てすごく嬉しいと思っているのに、もう少し愛想よくして下さいよ。私といるの迷惑ですか?」
京子も少しむっとした顔になった。お互いを牽制し合うような形になり、テーブルを挟んだ二人の間に妙な空気が流れた。
「あの、実はこの間のことなんですけど」
お茶を飲んだ後に京子が切り出した。
「この間?」
「大阪城公園で一緒だった女の人」
ドキッとした。
「彼女ですか?」
探るような京子の目の奥が光っていた。
「いや、そんなのじゃない」
「いいじゃないですか、隠さなくても」
「ほんと、ただの知り合い」
「ただの知り合い・・・ですか」
康祐を上目遣いに見ながら妙な笑みを浮かべた。何が言いたいのか。持って回った言い方に胃の辺りが締め付けられる。
「この間、菱木さんが帰った後にね、ちょっとした話で盛り上がったんです。3年前のことなんだけど。ああ、もうすぐ4年になるのかな」
康祐の反応を確かめながら、しかしすぐに前には出ない。
「お待たせしました」
店員の声と共に、目の前に和定食が置かれた。
「おいしそう」
京子は箸を持ってさっさと食べ始めた。次の言葉が気になり康祐は食べる事が出来ない。
「3年前の事って?」
「いやね菱木さん、あの事件のことですよ。社長の息子が誘拐されて社内中大騒ぎだったって、先輩の人達が話してました」
「僕が入社する前のことだよ、会社に入ってからそのことを口にする人はいなかった」
「そりゃあ本人を目の前にして言うことじゃないでしょう」
自分が帰った後にどんな話があったのだろう。京子は一体何を言いたいのか。わざわざここまで自分に会いに来る理由とは。
「菱木さん食べないんですか、美味しいですよ」
康祐の動揺を楽しむかのように京子はマイペースで食べ続けた。促されて普段は大好きな海老の天ぷらを口にするが味がよくわからない。一口食べて箸を置いてしまった。
核心を避け、しきりに焦点をはぐらかす京子に、徐々に康祐が苛立ちを見せ始めた。窓の外に目を逸らし、しばらく道行く人を見ていたが、やがて伝票を掴むと鞄を持って立ち上がった。びっくりした京子が慌てて箸を置いた。
「あ、あの、あの、実は私、気になってあの事件の事を調べたんです。そしたら、そしたら事件の詳細の横に逃げた犯人の写真が載っていたんです。男と女の写真」
早口で説明する京子に、康祐の動きが止まった。
「あの人・・ですよね」
康祐は椅子に坐り直した。
「何が言いたいんだ」
睨み合うような形のまま、先に顔を伏せたのは京子の方だった。
「私、やっぱり菱木さんが忘れられません。菱木さんに交際を断られてから会社の人と食事に行ったり、合コンで知り合った人と遊びに行ったり、菱木さんを諦めるために色々努力しました。でも駄目でした。正月に菱木さんと出会ってはっきり分かりました、私が好きなのは菱木さんだけなんだって。でもいいんです、私が勝手に菱木さんを好きなだけで菱木さんに私を好きになってくれとは言いません。ただ月に一度、こうして一緒に食事をして貰いたい、それが私の願いです。聞いて貰えませんか?」
あっけに取られた。思っても見ないことであった。事件の口止めの為の交換条件と言うことか。どう答えていいのか分からない。返事しない康祐を京子が祈るような目で見つめた。
「何故なんだ、何故僕にこだわるんだ。前にも言ったけど僕は君の思いに答えられない。本当に申し訳なく思っている。でもあの時君は了承してくれたじゃないか、だから僕は」
「菱木さん!」
京子が言葉を遮った。
「じゃあ、菱木さんはあの人を簡単に諦められますか?私が菱木さんに告白した時は、もしかしたらもうあの人と付き合っていたんじゃないんですか?だから私のお願いを断った、そうですよね」
返事に詰まった。あの事件のすぐ後から和音と付き合っていたと思っているのか。京子の告白を断った理由を和音だと思っているのか。和音とのいきさつを京子に説明しようとは思わない。京子が何をどのように思っていても構わない。しかし和音の存在が、京子によって脅かされるのは我慢がならなかった。
「この事を誰かに言った?」
「言ってません」
「わかった、誰にも言わないで欲しい、その条件受けるから」
京子の顔が輝いた。思いつめた表情が怖く、頷かなければこの場が納まらないと思った。後先を考えずに承諾してしまったその場凌ぎの返答が、後に和音を恐怖の淵に追い詰めることになるとはその時の康祐には思いも及ばないことであった。
和音からは毎日のようにメールが届いた。いつもクロちゃんのことである。適当の返事に適当の返事が返ってくる。康祐の休みが和音の定休日と重なると二人は何処かへ出かけた。普段会えない分思い切り遊ぶ。和音の表情が会うたびに穏やかになってくるのが康祐には嬉しかった。
二月の終わり。地上107m、大阪梅田スカイビル最上階の空中庭園展望台。屋根のない展望台は冷凍庫に首を突っ込んだような寒さであった。360度大阪の町を見渡せる大パノラマの夜景を見ながら二人は初めてキスをした。
「なんかドキドキする」
31歳の女とは思えない台詞に、
「いい年をして」
康祐が呆れて鼻を鳴らした。
「だってキスなんて、何年もしてなくてさ」
いつも威勢のいい和音がモソモソしながら康祐の服を掴んだ。康祐が笑いながら和音を引き寄せ和音は康祐に素直に身を預けた。身を切るような寒さの中、時間を忘れて二人は夜景に魅入っていた。
「あれっ、もうすぐ8時だよ」
時計を見ながら康祐が大きな声を出した。
「うん」
「クロちゃん、来てんじゃないの?」
「いいの、今日は」
「早く帰らなきゃ、えさ待ってんだろ」
「今日はね、看板の横にドライフードを置いて来たの」
「ドライフード?ああ、そうか、なるほどね」
頷いた康祐が、
「じゃあさ時間もあることだし、これからホテルでも行こうか?」
にやけた顔で和音の顔を覗き込んだ。
「行かない、それより寒いから中でコーヒーが飲みたい」
和音が出口に向かった。すぐ下にセルフ方式のカフェカウンターがあり、コーヒーを二つ買ってやはりガラス越しに夜景が見えるベンチに並んで腰をかけた。冷えた体に熱いコーヒーが滲み込み一時停止していた内臓が動き出す。コップを両手で持ちながら和音が水っ鼻をすすった。
「あれっ、あんな所に観覧車がある」
和音が指差した方向に真っ赤に光る観覧車があった。
「ほんとだ、どの辺りなんだろう」
「この間の観覧車じゃないよね」
「全然違う、えらく赤いしちょっと小型だし」
「あとで案内所で聞いてみようか」
「えっ何?乗るつもり?」
びっくりして和音を見た。
「ということは恋人に認定してくれたわけ?」
康祐の質問には答えず、和音は横を向いてコーヒーをすすった。観覧車は大阪駅のすぐ近く、ファッションビルの屋上にあった。直径75mの観覧車が建物の上部に食い込むように設置されており、10階建ての7階部分が乗り場になっていて、ゴンドラは屋上を突き抜け地上106mまで上昇、大阪の都心部を一望出来る仕組みになっていた。
「小さい頃にさ、お父さんと観覧車に乗ったことがあるの。その時もカップルが多くてさ、和音も大きくなったら最初に好きな人と乗りな、いい思い出になるからねってお父さんに言われたの」
窓の外を見ながら観覧車の拘りを明かした。赤く輝く観覧車はてっぺんを通り過ぎ、15分で元の場所に戻ってきた。
「ビルの屋上にあるのは見たことあるけど、ビルの中に食い込んでる観覧車って初めて見た」
ゴンドラを降りた和音が嬉しそうに観覧車を振り返った。
「気に入った?」
「うん、いい所見つけちゃった」
「近くだからいつでも来れるよ」
「そうね。また連れてきてね」
帰り道、送らなくていいと言う和音に、帰ってもする事がないからという理由で康祐は店まで送って来た。
「見て、ちゃんと食べてある」
看板の横に置いてあるクロちゃん用の皿が空になっていた。一緒に置いてあった水も減っている
「抜け目のないやつ」
辺りを見渡すがクロの姿はどこにもなかった。お茶を飲んで行ってと言う和音を断って、店には入らずそこで別れた。 駅に向かって歩きながら、康祐はこれからのことを思った。会うたびに和音のことを好きになって行く。和音も自分に対して同じ気持ちを持ってくれていると感じる。しかしこの状態がいつまで続くのか不安でもあった。
ある日突然足を掬われそうな気がする。ひっそりと息を潜めて生きていた和音を太陽の下に引きずり出したのは自分。本能のままここまで来てしまった。今になって振り出しに戻るような卑怯な真似はしたくない。引き返すことは和音を失うことであり、自身をも裏切ることになる。
しかし、自分と和音の足場には礎がなかった。礎のない城は少しの雨や風で崩れ落ちる。自分の持っているどれだけの物を差し出したら安全な地盤を築くことが出来るのだろうか。とりわけ松浦京子とのことが康祐の不安を駆り立てていた。
電車を待つ康祐の前で若いカップルが楽しそうにじゃれていた。彼らの足元は大丈夫だろうか。乗り込んだ前の席に、老夫婦が寄り添うように座っていた。この人たちの歩いてきた道はどれ程のものだったろうか。静かな車内に響き渡る電車の音を聞きながら、自分と和音のこれからのことを思い図っていた。
|