| 友人 |
| 東京に戻ってから康祐は親戚の運送屋を手伝っていた。仕事の合間に時間を見つけては拘置所に足を運ぶが、康祐が申し込んだ面会に和音は一切応じようとしなかった。再三の面会拒否に、受付の所員からもう来ない方がいいんじゃないかと言うような顔をされる。何故和音が面会を断わるのか分からなかった。あの日で終わったとは思いたくない。もう会う事が出来ないなんて信じられない。和音の真意を測りかね、やり場のない苛立ちに日々神経を尖らせていた。 仕事の忙しさから拘置所に行けない日が続いた。しばらくぶりで尋ねてみると、いつもの所員から驚くべき答えが返ってきた。被害者家族の申し入れにより和音に執行猶予が与えられ、すでにここを出ていると言うのだ。メモのようなものを預かっていないか聞いてみたが首を横に振られ、それ以上のことは何を聞いても教えて貰えなかった。 季節が変わってからも和音からは何の音沙汰もなかった。東京に和音との思い出になるような場所はない。探そうにも手達てがなかった。ただぼんやりと過ぎて行く日々の中で、気がつくと和音の顔を思い浮かべていた。和音に似た女性を見かけると無意識に目で追いかける。無理に忘れようとすればする程思いが募った。諦めの悪い自分に腹を立て、やさしく接してくれる母にさえ乱暴な口を聞いてしまう。このままで良いわけがなかった。現実を受け止め、和音とのことは過ぎ去った思い出として踏ん切りをつけなければならない。弱い自分から抜け出るために模索の日々が続いていた。 ある日のこと、商品を搬入している時に後ろから声を掛けられた。 「康祐、康祐じゃないか、こんな所で何してんだ」 振り返るとアタッシュケースを持った男が立っていた。 「あれっ、島崎、何だ、久しぶりだな」 大学の時の友達だった。 「久しぶりじゃないよ、お前大阪に居るんじゃなかったの?」 島崎は運送会社の制服を着ている康祐を見て不思議そうな顔をした。 「それが色々あってさ、今親戚の会社でバイトしているんだ」 「バイト?家の仕事はどうしたんだ、何かヘマでもやらかしたのか?」 「じゃ、ないんだけどさ、あ、お前、今晩暇?」 「ああ暇だけど」 「久しぶりに飲みに行かないか」 「いいね、賛成」 約束の時間、居酒屋で待っていると島崎が少し遅れてやって来た。島崎は大学を卒業後貿易商社に就職し、すっかりサラリーマンの顔になっていた。 学生時代の話から始まり、当然康祐が運送会社で働いていることに話が移った。島崎に隠す必要はない。大阪に行ってからこれまでの出来事をすべて話した。興味深そうに聞いていた島崎が突然呆れたように笑い出した。 「若くしてお前の人生波乱万丈だな。お前みたいな貴重な体験、滅多に出来るもんじゃないぜ。俺なんか何の波風も立たなくてさ、中学、高校、大学、現在に至るまで見事に女っ気ゼロ。ほんと羨ましい限りだよ」 島崎は康祐の話を面白がった。 「あれから半年も経つのに未だに立ち上がれなくてさ、ほんと、情けないのと馬鹿らしいのとで笑い話にもならないよ」 康祐は焼酎を煽った。早く酔って島崎に絡んでやろうと思うのに、いくら飲んでも酔いが回らない。逆に島崎が康祐の悩みを肴に威勢が良くなって来た。 「お前はいい恋愛をしているよ、これから生きて行く上に絶対プラスになる。今はまだ胸が痛いかも知れないけど時が経てばいい思い出として残るんだって。憎しみあって別れたわけじゃないんだからこの経験を次に生かせばいいんだよ。彼女もどこかでお前の幸せを願っていると思うよ」 ほろ酔い加減の島崎の舌は滑らかだった。 「俺だって頭では分かっているんだけどさ、気持ちが付いて来ないんだよ」 「な~に寝ぼけたこと言ってんだ。後ろばかり見てグチグチ言ってんじゃないよ。女に縁のない男にとってお前の悩みは贅沢そのものだよ。俺なんかこの貧相な顔のせいで好きな女に声を掛けることも出来ないんだ。お前みたいな顔に生まれてたら俺の人生ばら色だったろうにさ」 島崎は顔を赤くしてグチった。 「馬鹿だなあ、男は顔じゃないよ優しさと生活力だろ」 康祐が真面目な顔で答える。 「じゃあさお前、俺の顔で一年でも生きてみろよ、人のことだと思っていい加減なことを言うんじゃないよ」 「いい加減じゃないよ、顔なんか関係ないって。豊臣秀吉だって猿とか禿げ鼠とか言われてたけどあんな素晴らしい嫁さんを貰ってるじゃないか」 とたん、島崎が呆れて大声を出した。 「お前一体誰と比べてんだよ、馬っ鹿じゃないの。天下を取る様な偉人と比べるお前の神経を疑うよ。俺は平凡なサラリーマン、何かに秀でてるわけでもないし得意技も飛び道具もない、こんなんで女が寄って来ると思うか?」 「寄って来なければ自分から行けばいいだろ」 「だから自分からは行けないって言ってるだろ、分からないやつだなあ」 島崎がわめいた。 「あのさ言葉ってさ、人間だけに与えられた素晴らしい意思の伝達方法じゃないか。好きなら好きと言わなきゃ分からないんだよ。宝くじだって買わなきゃ絶対に当たらない、それと同じだよ」 「そんなことお前に言われなくても分かってるよ、でも駄目なんだ。振られるに決まってるんだって」 「何でそうやって決め付けるのさ」 「だからさっきから言ってるじゃないか、俺が憧れている人は俺の事なんか眼中にないんだって」 「なんだ好きな人がいるんじゃないかよ。言っても見ないうちから何諦めてんだよ。男らしくぶつかって行けよ、振られて傷付くのが怖いのかよ」 「そうじゃないけどさ、無理なんだって社内一の美人なんだから」 「それなら尚更相手にとって不足はないよ。思い切りぶつかって見事に砕け散れば本望ってもんじゃないか。駄目で元々、女は一人じゃないんだ、世の中の半分は女なんだからさ」 康祐の言葉に島崎が大目をむいた。 「よく言うよ、その言葉そっくりそのままお前に返してやるよ。一人の女にいつまでも未練たらしくしがみ付いてんのはお前の方じゃないか。女は一人じゃないんだったらさ、いい加減前を見て歩けって話だよ」 今度は康祐が黙った。島崎を驚きの目で見る。その通りだと思った。後ろにばかり気を取られて前が見えていなかった。自分の歩いている方向すらも把握出来ていなかった。島崎の言葉に思わず苦笑いしてしまう。そういえば長い間笑うことも忘れていた。笑いながら話をするのは何ヶ月振りだろう。亡くしたと思っていた自分が戻ってきたような気がした。 「勇気のない男に諦めの悪い男か、最悪だな」 康祐の言葉に二人が顔を見合わせて笑った。 「でもさ、考えたら俺らはまだ若いんだし先も長い。って言うか先の方がずーっと長いんだよ。こけたらその都度起き上がればいいんだ。やり直す時間はいくらでもある。いじけて立ち止まっていても何の解決にもならないんだからさ。お前もこれからは前を向いて歩いて行けよな康祐」 島崎が康祐の肩を叩いた。ずっと背中を突いてくれる誰かの手を待っていたような気がする。島崎の大きくてごつくさい手は心に沁み入る程に温かく、勇気が出る程に力強かった。 「今まですみませんでした。会社に戻って一からやり直そうと思います。もう一度受け入れて貰えないでしょうか」 書斎で本を読んでいた父に頭を下げた。 「運送屋が飽きたのか」 「いえ、色々考えた末、僕の生涯の仕事場はソシエールにしかないと思いました」 「彼女のことは諦めたのか」 「忘れようと思います」 「忘れられるのか」 「努力をします」 「未練はないのか」 「彼女が望んだことだから」 言ってから、情けない言い訳をしたと思った。 「彼女のことではない、お前のことを聞いているんだ」 案の定、父が声を荒げた。 「何故探す努力をしないんだ、納得のいかない終わり方でいいのか」 父から意外な言葉が返って来た。唖然としている康祐に、父が机の引き出しから一通の封書を取り出した。宛名は父名義。裏を返すが差出人の名前も住所もない。 「一ヵ月前に届いた。後はどうしようとお前が決めることだ」 封書を康祐に渡し、父は書斎を出て行った。 菱木忠雄さま その節は色々とご尽力を頂き有難うございました。 お礼も言わず東京を離れ、失礼したことをお許し下さい。 過ぎて行く日々の中で徐々に落ち着きを取り戻しています。 身も心も軽くなり、顔を上げて歩ける喜びに感謝する毎日です。 幸い慣れた仕事に恵まれ、忙しく時を過ごしています。 本当に有難うございました。 心からお礼を申し上げます。 追伸 遠くからではありますが、会社のさらなるご発展と ご家族皆さまの健康をお祈り致しております。 宮崎和音 父に宛てられた十数行の文面、そこに康祐の名前はなかった。しかし手紙を持つ手に和音の体温を感じ、和音を愛した日々が蘇ってきた。封筒の消印はぼやけて見えなかったが、岡山の県鳥であるキジの切手が貼ってあった。 「岡山にいるのか」 慌てて居間に駆け込んだ。 「明日、彼女を探しに行きます」 ソファに座ってお茶を飲んでいた両親が康祐を見た。 「貴方の思うようにすればいいわ、貴方の人生は貴方のものだから」 母がやさしく笑った。 翌日、新幹線で岡山に向かった。所要時間3時間30分。康祐には長い時間。岡山から電車を乗り継ぎ、かつて二人が住んでいたアパートに向かった。しかし戸が開いて出てきたのは見たこともないおじさんだった。アパートの前で隣に住んでいたおじさんに出会う。 「おうあんたか、どうしたんだ一体」 おじさんは朝から飲んでいるのか酒臭かった。 「すみません、彼女あれから来なかったですか?」 「彼女? なに? 一緒じゃなかったの? 俺もあれ以来会ってないけどな」 「そうですか」 「行方不明なのかい?」 「あ、いえ、じゃあ、どうも」 早々とアパートを後にした。やみ雲に探す訳にも行かず、とりあえず和音が働いていためし屋に行って見た。しかしそこにも和音はいなかった。手紙に慣れた仕事と書いてある。そうだ、クリーニング屋かも知れない。周辺のクリーニング屋を一軒一軒探して歩いた。この町に何軒くらいクリーニング屋はあるのだろう。どの辺りまで足を運べば和音に辿り着けるのだろう。黙々と歩き続け気が付けば隣町を通り越していた。手がかりがないまま辺りが暗くなり、次々と店のシャッターが閉まり出した。 「明日にするか」 表通りに出てタクシーを拾った。近くのホテルに案内して貰い、翌朝、電話帳を見ながらクリーニング屋を片っ端から電話してみた。だが、定休日の所もあれば改装中の所もある。電話が繋がったどのクリーニング屋にも和音はいなかった。クリーニング屋じゃないのかも知れない。高校を出てすぐに食品会社で働き、そこを辞めてからは職を転々としたと言っていた。クリーニング屋ではない慣れた仕事とは何を指しているのだろう。 それからは行き当たりばったりで商店街を見つけると何屋に限らず中を覗いた。暗くなるまで歩き回り、見つけられずにホテルに戻る。同じ行動の繰り返しで忽ち三日が過ぎてしまった。土地勘のない康祐にはもはや探す所がなくなってしまった。 もしかしたら、もうすでに他の場所に移動してしまっているのかも知れない。制限なく探し続けるわけにもいかず、探す場所がなくなった以上諦めて帰るしかなかった。和音が見つからなかったことは残念だったが、不思議に悲壮感はなかった。むしろこれでようやく吹っ切れると思った。ホテルの部屋から家に電話をかけ、明日帰ることを告げた。 「見つからなかったの?」 電話の向こうの母に、 「駄目だった、今まで散々迷惑をかけて本当にごめん。もう大丈夫だから心配しないで。ここの名物でも買って帰るから、沙智と楽しみにしておいて」 自分でも驚く程の冷静さで答えていた。ようやく暗いトンネルを抜け出たようだった。行きの新幹線の中で和音が見つからなかった時にはまた以前のように落ち込んでしまうのではないかと内心不安だった。だから突きつけられた現実を正面から受け止め、悔いの残らない旅で終われたことに胸をなで下ろしていた。そして何より、自分をこの場所に送り込んでくれた両親に心から感謝したいと思った。
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| 1 誘 拐 | 2 逃亡のはじまり | 3 元気でね | 4 社会人 | 5 父のこと | 6 新生活 | 7 オープンに向けて | ||||||
| 8 初デート | 9 新 年 | 10 古 巣 | 11 後 悔 | 12 ほころび | 13 二人の生活 | 14 失 意 | ||||||
| 15 新しい命 | 16 中 絶 | 17 決 断 | 18 別 れ | 19 友 人 | 20 再出発 | 21 運命の日 |